直訳調すぎるイタリア語訳は文体の美しさを損ねます。

過剰な直訳主義に異議申す

直訳を重視しすぎるゆえの文体崩壊

あまりに直訳調の翻訳には、翻訳経験の少なさや表現の乏しさが隠れています。

翻訳の世界では2つの考え方が存在します: 1) 翻訳はあくまでも直訳であるべき。 2) 翻訳は必要に応じて原文を「ローカライズ」し「改善」すべき。いずれにせよ、日本語からイタリア語への翻訳決して直訳調であってはなりません

直訳とは

語訳とも言いますが、要するに、原文の一語一語を忠実にたどるように訳文に反映する翻訳のことで、訳文言語の特性に沿った構文形態や文体をないがしろにしても、あくまで原文の言葉がすべて網羅されていることを重視する翻訳のスタイルです。しかしこの直訳は、訳文を分かりづらい不自然な文章にします。直訳の逆がローカライズ、つまり意訳です。原文の一語一語にとらわれず、全体の意味やニュアンスをくみ取り、訳文として自然な文章に仕上げます。

もちろん翻訳の用途や文書の種類などによっては、直訳が是である場合もあります。技術分野の特許などの技術翻訳はそのひとつです。このような特殊な文書や特別な必要性がない限り、一般翻訳では直訳は避けるべきであると我々は考えています。

日本語とイタリア語の違い

本語は、ロマンス語に属するイタリア語と言語構造に顕著な違いがあり、特に文語では、目的語や対象が曖昧で、抽象的な表現や、直訳できない定型表現や時候の挨拶などが多く見受けられます。また元の意味から変化し異なる意味で使われている外来語も多々あります。

さらに日本語には、ヨーロッパ言語で頻繁に使用する代名小詞や関係代名詞、目的語の複合形が存在しませんので、目的や対象を明確にするには、同じ主語や目的語を文脈の中で繰り返し使用する必要があります。ただそれが言語特性ゆえ文体的な違和感は特にありません。一方、イタリア語では、同じ表現の重複は、文体を大きく損ねるばかりか、大変分かりづらく読みにくい文章となるため、代名小詞や同義語などを駆使して、故意に重複を避ける必要があり、そのまま日本語原文を直訳することはできないのです。

下に引用するのは、実際に目にした原文と翻訳の例です。短い文章に同じ表現が何度も繰り返し出てきます。このような文章は、特に技術文書に多いですが、一般的な文書でも頻度の差はあれ見受けられます。(A)は、某プリンターの取扱説明書の日本語原文。(B)は、ネイティブではない翻訳者が直訳した英訳。(C)は、(A)または(B)から直訳したイタリア語訳。

(A) 日本語原文:

プリンターを使う前に、プリンターがアラームを出さないようにプリンターのカバーを閉じてください。そしてプリンターの電源ケーブルをコンセントに差し込んでください。

(B) 直訳英語:

Before using the printer please close the main cover of the printer so that the printer will not output an alarm. Be also sure to plug in the printer’s power cable.

(C) 直訳イタリア語:

Prima di usare la stampante chiudere il coperchio principale della stampante in modo che la stampante stessa non emetta un allarme. Assicurarsi inoltre di collegare il cavo di alimentazione della stampante.

日本語原文(A)では、操作間違いを最大限避けるため、目的語を明確にすべくこのような文章になっているのでしょうが、「プリンター」という言葉が短い文章の中に4回も出てきます。その直訳英語(B)も、(B)から直訳したと思われるイタリア語(C)にも、同じ回数使われています。一方、 重複を避けて訳したイタリア語訳には1回しか「プリンター」という言葉は使っていませんが、同じ意味が明確に伝わります。そしてイタリア語として完成度が高く自然な文章になっています。

日本語の典型的な重複表現の別例を挙げてみます。

(A) 日本語原文:

監督者の明確な事前の許可がない限り、この部屋に入ってはいけません。許可なしで入室してはなりません。

(B) 直訳英語:

Do not enter this room without first obtaining the authorization from the security staff. Make sure not to enter without authorization.

この場合、ほとんどの依頼主(多くの場合、翻訳会社)は、原文や直訳英語と同じように、2つの文章になることを求めます。さもなくば、忠実な翻訳ではないと考えるのです。

イタリア語の作文の授業では(今でも変わらないはずですが)、このような繰り返しを極力避けるよう教えられます。前述の通り、同義語、代名小詞、関係代名詞等を駆使して、重複が避けられる言語特性を有するという理由もあるでしょう。

いずれにせよ、日本の依頼主は、往々にしてヨーロッパ言語のこのような特性を理解せず、英語で可能であればイタリア語でも可能であろうという推測のもとに、直訳英語と同じような文章スタイルを求めてきます。同じように2文になっていなければ、訳抜けである、忠実に訳されていない、翻訳品質が低いと考えるのです。

ドロシー・パーカー

美しい翻訳は美しい女性に似ている。忠実であることがめったにないからだ。

ドロシー・パーカー
アメリカ合衆国の詩人、短編作家、評論家、風刺家

ちょっとおかしいチェック方法

かしながら、この重複を避ける置き換え作業や省略をすることで、起きてくる問題があります。原稿と同じ構文になっていない(原文は2文なのにイタリア語は1文しかない)、単語の数が同じでない(原文には4つプリンターという言葉が出てくるのにイタリア語訳には1つしかない)、よって訳抜けであるという、依頼主(特にイタリア語が分かるスタッフのいない翻訳会社)からの指摘に対して、言語特性による理由を説明しても、あくまでも原文に忠実な直訳に修正を求められることがしばしばあることです。

また時として、イタリア語の特性を十分に理解しない日本人校正者(残念ながら少なくない)が、翻訳者に確認することなく、原文に合わせて(プリンターを4回繰り返して)修正を加えたものが、最終成果物として出回ってしまうことです。そして何故か、依頼主は、忠実に原文のスタイルを反映した日本人校正者の方を信じ、このイタリア人翻訳者にはもう仕事を任せられないと判断してしまうことです。

多言語プロジェクトなどで、ネイティブではなく日本人翻訳者が日本語から直訳した英語を基に各言語に訳出する場合にも、同様の問題が起きます。英語が分かる人が読めば、こなれていない不自然な英語であることは一目瞭然で、そこから展開する各言語は言わずもがなです。そんなへんてこりんな文書が世界に溢れていると思いませんか?

なぜこのような過剰な直訳が溢れているのでしょうか?

に次の理由が考えられます:

  • 直訳の方が簡単で時間がかからない:同義語を探したり、文章を見直すのに時間を取られることなく、機械的に訳して効率良く分量をこなすことで、料金を下げることができ、競争力を持つことができるから。
  • 前後の文脈が分からない原稿(単語や単文のみの抜粋)で直訳せざるを得ない:この場合、それらの文章がどこにどのように挿入されるのか、何に関する文章なのかも分からないことがあり、翻訳者は直訳を強いられます。その後、それらの直訳された文章同士が前後に並ぶ形で編集され、全体が重複に満ちた不自然な文書になってしまうのです。それを避けるために、前後の文脈がわかる対象文書を参考資料として提供してもらえるよう依頼しますが、その必要性を理解しないためか、面倒を避けたいのか、「そのまま直訳してくれれば良い」という返答が返ってくることもしばしばです。
  • 校正作業がしやすいように直訳を求められる:Excelファイルに多言語訳を横並びに記入させ、英語にスタイルを揃えることを求められ、同じ用語が英語と同じ数並ぶことが原則!さもないと訳抜けチェックが入り、他言語ではそうなっているのになぜイタリア語では違うのかと指摘されます。
  • 言語の世界にもグローバリゼーションの波:それぞれの言語独自の特性を重視し、美しい文体を維持しようとする流れは弱まり、文章のみならず思考まで単一化・簡略化され、各言語が世界共通言語としての英語表現の影響を受けすぎているように思います。
  • 自動翻訳の蔓延:時間短縮のために仮翻訳として自動翻訳ツールを使用し、それを少し手直したものを成果物として納品する翻訳者が、実は思いのほか増えているのが事実です。自動翻訳は、一言一句漏らさず同じ訳語で直訳してくれる直訳マシーンです。幸いなことに、言語組合せによっては、まだまだ使い物にならない組合せもありますが(日⇔伊等)。

もっとローカライズを

訳の世界で今起きている、上記のような間違った流れに対して、経験のあるプロフェッショナルな翻訳者達が一様に疑問を持っていることは、翻訳者フォーラムなどで頻繁に同意見を目にすることでも明らかです。

特に日本語からイタリア語に翻訳する場合、翻訳の後に、さらに時間を割き、訳文を何度も読み直し、不要な重複を置き換えたりして、初めからイタリア語で書かれた文章と思えるほどに、自然な文体に整える作業が不可欠だと思うのです。

依頼主からの指摘や校正者のチェックを恐れ、直訳に甘んじていると、翻訳は本来の意義を失い、翻訳者は母国語への敬意を失うのではないでしょうか。我々は頑固にこの問題に警鐘を鳴らし続けていきたいと思っています。